山吹色の茶菓子(ただしお代官様にじゃなく白衣の方に)

昨日の勤務中に品出しをしてた時の話ですけど、
水道管を保護するためのテープを出してたとき、
箱の下に敷いてあった白いダンボールをめくると
その下からまさかの刷毛が登場したときに、
「この展開、木久ちゃんが大喜びしそうだなおい」とか思ってしまい、
一人ププッと吹いてしまったということがありました。

まさに「菓子折りの下に小判とは、越後屋お主も悪よのう!」
こんなのを彷彿とさせるような既視感を覚えた私ですが、
その夜に『DoctorX 外科医 大門未知子』で、
医師に袖の下を渡す患者を見てて思わず「コレの伏線かー!」とか
思ってしまったわけでございまして……。

さて、袖の下って今でも一般的なんだろか、とか思ってしまいまして……。
いやね、昔は結構当たり前だったんじゃないかなと。
特に外科系の難しい病で持って入院だ手術だってなったとき、
手術をする医師に渡して便宜を、なんて話が出ますからねえ。
まあ、心付けでございますよろしくお願いしますです、みたいな……。

ただ、実際のところ「お金もらったところで医療行為は変わりません」
こういうのが本音なんでございます。
だって、医師にしてみれば目の前の患者さんを救うのが先決、
それができないと自分の評価にも関わりますからね。
よほど特別な治療法をチョイスせざるをえないとかそういう場合でも
基本的に保険ですから、点数が決まっているわけです。
ついでにいうと、最近の病院ではDPCと呼ばれる、
「この病気に関してはこんだけの点数の治療ね」ってのが決まってます。
したがって、どんな治療しても対して変わらないんです、病院の収入額は。

手術に関しては出来高払いの側面がありますけれども、
それだってなるべくなら負担の掛からない手術をするのが望ましい、
(この場合の「負担」は懐具合の話と「切る」ときの手間と時間、
 すなわち患者の体力が持つかどうかという話も全部ひっくるめて)
したがってあまり面倒な手術をする訳にはいかないんですね。
もちろん必要になったらそういうふうにしますけれども、
そういうふうにすれば治りも悪くなりますから余計大変です。
ちなみに、そういう風になるのは医師の技量も要素として少しありますが、
加えて患者の容態に関する「予期せぬアクシデント」という側面もあり、
一概に医師の責任だってだけじゃないんですよね。

じゃあなんでみんな袖の下を……と思ったわけなんですけど、
医師であると同時に医療ジャーナリストの富家孝氏が指摘するところでは、
患者やその家族が医師に対して不信感を抱いているから」ということで、
もちろんこれは当然のことかもしれません。
自分の家族が大病した、助かるかどうかわからない。
そうなったときに相手の石がちゃんとした医師かどうかは、
言い方は悪いですがある意味では運でもあります。
ですが、そんな医師でも袖の下渡しときゃ頑張ってくれべえ……と。

「そうかなあ」というふうに思った方と、「そうだよなあ」と思った方、
両方いらっしゃると思いますし、また両方の考え方があります。
不信感もあるでしょう。または不安感から藁にもすがろうとする、
それこそ「地獄の沙汰も金次第」なんでございますな。

しかしながら、それはある意味では医師に対して失礼でもありまして、
「そこまでしないと本気でやってくんない」と思われてるっていう意味だととると、
「あたしゃそんな手抜きする医師じゃねえよ!」と怒る医師もいましょう。

はい、結論から申し上げますと、袖の下は別にいらないというのが実際で、
特に国公立の病院では100%受け取ってくれません、というか、
それは国公立の病院だと「賄賂」扱いになりますので、
一つ間違えば刑事事件で持って病院全体はおろか、
患者やその家族までも事件の被疑者だのになってしまいかねません。
まあ、それはオーバーな言い方かもしれませんが、
そういう形で取られますので、国公立ではご法度になってます。
私立、つまりわりかしそこら辺にある病院(財団法人系)だと
受け取るところもなくはないでしょうが、それでもあまり芳しいものでもなく、
医師自身の評判を落とすことにも関連しますから、
やはり意思を信頼してすべてお願いしたいというふうに思うのでしたら、
「よろしくお願いします」「ありがとうございます」の言葉で気持ちを示すこと、
このことこそが一番大事なんじゃないかなあと思いますね。

医師に不信感を抱くよりも、素人ではできない医療行為を行ってもらうこと、
そのことに感謝して、仮にどうなってもそれはそれで仕方がないと割り切る
(どうしようもない医療ミスはともかくとして)
そういう風に医師と良好な関係を築こうとする心構えこそが
医療行為を受ける上で一番大事なんですよね。
信頼して任せて、必要に応じて情報をきちんと聞いたりして、
医師と仲良くなることができれば、医療もうまくいくものです。
精神的に安定することも医療において大事ですからね。

結論。
菓子折りの下に小判とは、お主の病気が悪くなるのう、となりかねない。

憲法で真に大事な条文

ジャンルに「経済・政治・国際」と入れましたけど、
憲法の話=政治、とは限らないというご指摘をいただくでしょう。
ただ、元にしているのが政治=衆院選の話だったので、
そのへんはご容赦ください。

今日、我が家に選挙公報が来ました……といっても、
区民に回覧板に封入した上で配布するためのものがどっさりなので、
厳密には「来た」とは言わず「届けてください」扱いではありますが。

で、そこには今回の福島3区の小選挙区の候補者の政見も。
今回は前職の玄葉光一郎氏(旧・民進)が無所属で出馬し、
そこへ上杉謙太郎氏(自民・公明推薦)と橋本健二氏(共産)が立候補、
三者三様の……三つ巴と言っていいのかちょっと疑問ではありますが、
そういう陣容になっています。

で、共産の橋本健二氏のところを読んでみると……
共産系候補や社民系の候補の名物と言ってもいいかもしれない、
憲法9条を守る、というキーワードが書いてありました。
……うーん、と私は唸ってしまいました。

いや、もちろん憲法9条を守る、つまり諸外国に戦争しかけない、
戦争でもの解決するんじゃなく外交でなんとかしようってのは
当然のことではあるんですよ。
ただ、そのための外交ビジョンとかそういうのがないとなあ……。
残念なことに、憲法9条を守るなんていう「ありきたりの言葉」ばかりでは
身近なところをなんとかしてほしいと思う有権者はこっち向いてくれません。
言ってみれば9条はある意味では「もっとも身近なところにない条文」でもあり
(むしろ「身近になってはならない」といえるほどであると解釈もできる)
(まあ、第1章の「天皇」、つまり第1条~第8条の項目もまたしかりですけど)、
そのことよりも憲政云々だったらもっと「大事な」部分じゃないの?と思うものが
いくつもあるんじゃないのかなぁ、と思うんです。

国のあり方を真面目に考えた場合、一つの考え方として、
「国とは、単純に『同じところ』に住んでいる人たちが、
 様々な目的をもった上で自分たちの生活を維持できるように
 とりあえず作った『共同の器』」だというふうに捉える手法があります。
そのためには、国としての体をなす前にまず人それぞれ、
個人をきちんと保証しなければならない、と考えます。

この考え方が私の基本的な「国」概念……というよりも、
社会とはなんぞ、ということを社会学において考えた場合に、
「人が二人以上集まったら何が起こるのか」を考えることだと思うわけです。
なので、社会だとか国だとかいった「人の集まったもの」とは、
結局個人をきちんと立てなきゃダメだろう、というふうに考える傾向にあります。

そうすると、まず個人を定義する条文からだよね、となります。
はい、この条文ですね。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

※上記は法庫・日本国憲法の頁・http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTMより抜粋

そして、忘れてはいけないと思うのがこれ。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

※以上も法庫・日本国憲法の頁・http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTMより抜粋

9条の根拠法は実は25条じゃないかとも思います、私は。
むしろ、私は今こそ9条が~をやめて、25条を~と
声を大にしていうべきだと思うんです、共産党とか社民党は。
現に、いま子どもたちの相対的貧困の話が出ていますよね。
そして、能力があって意欲もあるのに学問を志すことができない、
その結果として才能を活かすことができずにいる子どもたちも多い、
あるいは自分で自活するのが困難な人たちの生活を底上げし、
その結果としてみんなが豊かに暮らせるようになる……
経済が沈んでいるってことを考えると、そういうことをしていくことで
自然に社会全体が活性化し、また長い目で見れば国力もアップし、
個人にその利益が還元される、ということになりませんかね?

だからこそ、個人をきちんと大切にした社会が求められるわけです。
戦争をしちゃいけない、なんてのは当然なんですけれども、
それ以前にまず個人を個人としてきちんと支えましょう、
国民の一人だとかいう前に、人として当たり前のように生きてもらえるように
きちんと保証しなければ、国は支えられないんですよ、ってことを
もっともっと積極的にアピールしてかないと、日本は沈没しますがな、と
どんどんいってけばいいんですよ。

前も何かのきっかけがあって25条こそ憲法の肝だ、なんて話をしましたが、
やはり人を人として生かしてくれる、そして活かしてくれる社会こそが
然るべき社会じゃないかな、って思われて仕方がなくて、
また同じことを書いた次第です(選挙期間中だからというのもありますが)。
それをやりましょう、という政治を目指していきたいところですよね。

将棋のタイトル保持者一覧

Titleholder
(上記画像は日本将棋連盟・現役棋士一覧頁
 2017年10月12日時点でのスクリーンショット)
昨日の将棋・王座戦五番勝負第4局の結果、中村太地六段が
羽生善治王座を80手で破り、3勝1敗にて王座位を奪取、
加えて六段以下でタイトル獲得につき七段昇段を果たしたわけですが、
翌日の将棋棋士紹介のページがこういうことに。
まあ、当然ながらタイトル保持者がバラバラなのでこうなるんですが、
羽生善治棋聖が「ここにいる」というのがどうも違和感が……。

リアルタイムで「羽生善治・七冠独占」を見ている世代として、
更にNHK杯4連覇とかタイトル通算98期とか、
そういうのを知っている世代として、やはり不思議な感覚というか、
なんとなく寂しいものを感じる面もまたあります。

もちろん、これで羽生棋聖がもう終わりだっていう意見をいうような人には
丸くれらんねどころか特大サイズのバツをくれてやりますけど、
もちろん体力的なものというか、年齢的なもの=衰え、みたいなのは
まったくないとはいえないと思いますし、またその他の要因もあるでしょう。

一番は若手の指す将棋に対して旧来の自身が蓄えた定跡や閃きが
効かない、あるいは覆されるようになってきたということなのかなと。
昨今の若い世代(中村太地王座や菅井竜也王位など20代以下の棋士を指し、
特に有名なところでは前期棋王戦挑戦者であった千田翔太六段)は
研究にコンピューター将棋を積極的に取り入れるというものがありますが、
これによる最大の効用は、これまで人間の間での定跡では
「あまりいい手ではない」と判断されてきたものを否定して、
積極的に「この手はなかなか面白い手だ」と発掘できている点です。
ここのところ若手棋士の間で「雁木」という戦法が流行っているそうですが
(こないだの新人王戦・増田康弘四段対佐々木大地四段戦でもこれだった)、
これもまたコンピューターの間で再度評価されるようになった戦法だそうです。

もちろん、羽生棋聖もコンピューターは使っていますし、
羽生棋聖をはじめ、佐藤康光九段や森内俊之九段を輩出した伝説の研究会
「島研」(主宰は島朗九段)に於いては、棋士にとって最大の勉強となる
棋譜をデータベース化したものをコンピューターに処理させていたというわけで、
そういう形で効率化して棋譜を扱い、そして強くなっていったわけです
(その流れを汲んでというべきか、ある意味最も確実にそのノウハウを活かし、
 純粋に気力を向上させたといえるのが渡辺明竜王。
 もっとも、これは渡辺竜王が羽生棋聖に対して
 ものすごい私淑を持っていたからというのもあると思いますけどね。
 んなもんだから『将棋の渡辺くん』でも頻繁に羽生さんの話題が出てきます)。

とはいうものの、それはコンピューターを「使っていた」というわけですから、
実際に自分の勉強相手というわけではなく、単なる「便利な知識の箱」として
重用していたという感じの使い方だったともいえます。
若手はそれに対して積極的にコンピューターの将棋ソフトを用いて、
自分の将棋を磨いているわけですから、その独創的な発想も手伝って、
今までの棋士の常識にとらわれない気風になる傾向があるかなと。

結局のところ、こういう「閃き」の世界ってなんだろなと思うと、
常に自分が何を考えられるかとか、そういうことなんです。
で、自分の発想の引き出しを増やすにゃどうするかっていったら、
とにかく新しいものに触れて、それから刺激を常に受けまくって、
そして最後に「何が使えて何が役に立たないのか」、
その取捨選択をきちんとできるようにする

そのために、自分を常に振り返り、かつ他者からも学ぼうとする、
そういう、知に対して貪欲なことこそが、ナニゴトもうまくいくのかなと。

知を求めるというのは何事においても大切なもの。
自分の知に見落としや勘違いがあったらきちんと認め、
それを省みて覚え直すことが求められるというわけで。

でも、これも民主主義=政治にも通じるよなあ、と。
今ちょうど衆院選の真っ只中だから思ったんですけど、
民主主義は多数決で全て何もかも決めるんじゃないんですよ。
民がみんな主役ですってのを据えてるから民主主義です。
そのためには民を弾いちゃだめなんだよなぁ……って思います。
ベンサムの提示した「最大多数の最大幸福」って概念がありますけど、
これにおいても、ベンサムが考えている部分においては、
多数者の利益のために少数者を犠牲にすることを支持しないわけで、
全員が幸せになるにはどうしたら良いの、ってことを考えることになります。
……よく、「所得の再配分」に関しても、なんで努力して稼いだのに
俺だけたっぷりもってかれなきゃならんのだというふうになりますね。
これもちょっと考えてみると、こういう説明もできそうです。
「まあ確かにあなたからガッポリ持ってきますが、
 あなたは他の人が稼げる以上に稼いで、十分幸せですよね。
 それで十分以上幸せなんですから、その分をほかの人に回して
 みんなが幸せになったらもっと幸せですよね。」
ってことになる……これは場合によっては感謝される要素でもあり
(例えばチャリティーや奨学金への寄付などがそういうものに相当する)、
社会的な富の再配分は決して一部個人の犠牲とばかりは
言えないのではないかと私は考えるわけです。

……ごめん、2打目がスライスしまくって話がOBに入ってた。
打ち直し。第4打。

民主主義と知を求めることの共通点はなにかといったら、
「意見を事にする他者と互いに考えを聞いて、
 そこから互いに考えて、取捨選択をし直して、
 その上でより多くの人がよりよい生活をすることができるために
 どうすればいいのかを考え直せる。
 自分になかった知・自分の視点から飛んでたものを知ることで
 より広い範囲に目を向けられるようになり、政治システムも良くなる」
こういうことがあるわけですから、議論をするってことは大切だし、
そのためにいろいろなものを見聞きするコツ・そして考えるコツを掴み、
人ときちんと結論を出そうとする議論をできるようにすることって、
実はすご~く大事なんですよね。

ネット空間の言論はそれがすっぽ抜けてる傾向にありまして、
結論は自分の中で出てて、それに歯向かうやつはとんでもねえやつだ、
そんな議論になってない罵倒合戦になってしまってますね……。
もちろんそういう人たちばかりではないんですけれども、
どうもなあ……ちょっと違うだろそれ、ただ単に罵ってるだけじゃん
(一般には「ネトウヨ」と称されるような層が多いと思うが、
 決してそればかりではなく、いわゆるきちんとした議論をする層にも
 「バカは相手にせん」みたいな風潮が感じられる面もある)、
人の話をきちんと聞けば楽になる面もありますぜ、って思う面も
少なからずどころかたっぷりあります。
わざわざ喧嘩売りつけるようなことを言ってないで、人の話聞いて、
きちんと考え合う、頭を使って何とかしよう何とかしようと思う気持ちを
持ち続けることが大切じゃないかなぁ……って思うんです。

……ごめん、結局打ち直しの4打目がバンカーに入ったっぽい。
何言いたいんだかちっとわからなくなった……。

インターネットと"Unseen Entity"

私がインターネットを始めたのは2000年の2月だったんですが、
その頃はというと、インターネットをやる人ってあまり多くなくて、
大学生とか社会人とか、あるいは家でパソコンをやっている人の子どもとか、
割と限られている感じだったんですよね。
その頃からすでにハンドルネームという「文化」はありましたけれども、
ホームページを持つ人ってのはそんな多くなかったんですよ。

2000年代前半はまだ日記とかのCGIはあったものの、
ブログも特に用意されているわけではなく、
情報を伝えるためにはホームページを利用するというのが
実質唯一の方法だったわけですけれども、
当然ホームページを作るとなると、それ相応の技術というか
HTMLに関する知識は最低限必要(HTML4.01 TransitionalならだいたいOK)で、
加えてCSSができれば言うことなし、そんな感じだったわけです。
TwitterだののSNSなんて全く見かけませんでした。
インターネットそのものが結構ハードルが高かったというか、
そこで情報を流すということに関してのハードルが高かったんですよね。
何かを明確に伝えるってことになると、そういう準備が必要になって、
更には更新し続けるためにいろいろと手間がかかるなどあるわけですし。

現在ではどうでしょう。
インターネットをやる人がもう非常に多くなりました。
そして、SNSで誰でも情報を「流す」ことができますし、
ブログについても一般的になってきています。
インターネットメディアとしてはパソコンよりもスマホがメインで、
ちょいなちょいなと片手で情報を「流す」というのが
誰でもできるほどになっています。
そう、「超気軽なインターネット時代」ということになっています。

さて、その一方で、人に関しての進化です。
ホームページの運営の仕方についてはいろいろあると思います。
大々的に公開していろいろな人を集めるという方法と、
あるいは身内でひっそり静かに運営して色々、みたいな方法と。
まあ、本質的にはインターネットと言うからには前者になるんですが、
そのためには「自分が何をやっている人化」「何を伝えるのか」ということを
ある程度は明確にする必要がある事になります。
その公開レベルは人によって様々でしょう。
私みたいにかなり素性をあけっぴろげにしている人もいますし、
逆にハンドルと性別と年齢層だけ公開して他は非公開みたいな人、
趣味嗜好だけはいろいろ出しているけどその他は秘密の人とか、
個人の考え方や運営のスタイルに応じて様々だと思います。

さて、では現在のSNSのうち、日本でかなりメジャーになっていると思う
Twitterの話をしてみると……どうなんだべかと思う面があります。
割としっかりつながるタイプであるFacebookやInstagramとは
また違った感じのSNSであり、誰でも気軽に情報を「流せる」メディアの
Twitterに関して、私もいろいろ思うところはあります。

(※私がTwitterを始めたのが2016年の5月末だったことは
  念のため付け加えておきますです、はい)

結構、Twitterの「自己紹介」を読んだところでも
何をしている人かとか、性別とか、そういうのが全く伝わらない、
そういう「正体不明の情報伝達者」って多いなぁって感じます。
もちろん、それは主流派じゃないと思うんですけれども、
自己紹介に何も書いていないとかっていう人もたまにいますし、
伝わらないような書き方をしている人も見かけます。
Twitterの自己紹介欄については私が思うに極めて少ないわけで……
こう、「敷居を下げる」ためにわざとそうしているのかもしれませんが、
書ける分量がかなり少なくて、欄に収めきれない感じの人とか、
あるいはわざとぼやかしても大丈夫だ問題ない、な人もいたり。
(ちなみに私は「欄が少なくて困る」と感じた人です)

そういう風に思うと、この人は果たして信頼に値する人なのか、とか、
情報源として適切な人なんだろうか、とか、そういう疑問に対して
明確な回答が得られないままになってしまう恐れもあります。

情報ってのは「人の行動を励起させるためのエネルギーである」と
私は思っているわけなんですけれども、そのためにはやはり
質のいいものを選びたいところではあるなと感じます。
情報を得ることで、人は何かしようと思ったり、
あるいは自分の行動をさらに活発にさせたり、
逆に自身を戒めたり(戒めて自分を改めることで、
最終的には自分を成長させるので、それはそれで間違いではない)、
そういう効能が期待できるわけなんですけれども……

残念なことに、そういう信頼できない人間のいい加減な情報により、
一部の人達が間違った情報をもとに行動してしまったなんていう事例も
決して少なくないのではないか、私はそういう風に思うようなことが
インターネットでは平気で起こっています。
間違った捉え方をした人が、正しい捉え方で他者を叱っているのを見て
その叱っている人を口にだすのもはばかられるような言葉で罵る、
ひどいのになると実際の社会において行動に移して、
人様に迷惑をかけたり、危害を加えたりもしてます。

よく、悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)といいますが、
たまたま調べたWikipediaのリンク先に「レモン市場」という言葉がありまして
(※レモン:英口語で「欠陥品・不良品」「つまらないもの」という意味がある)
今のインターネットの情報ってのは、考えようによっては
こういうレモン市場に陥っているんじゃないかと思う面もあります。
正体不明の「無価値な情報(ここでは無価値=デマ)と考える」に踊らされて、
結果として自分を謝らせてしまい、最終的に被害が自分にかえってくる……
そんなふうになっちまったら……大変ですよね。

なので、正体不明の情報や、発信者不明の情報を見つけたら
基本的には眉につばをして、疑ってかかったほうがいいかなと思いますし、
Twitterの情報をみたときは、その発信者のことがわからないとか、
あるいは又聞きの又聞きになっている情報だったりとか、
そういうものもあるってことを覚悟した上で情報を読み解いていく、
そういう風に一つ一つ頭使いながらインターネットをやらないと、
自分に情報を流した責任が……なんてことにもなりかねません。

すなわち、インターネットは恐ろしいところだというふうにもいえますよね。
現代の情報氾濫社会で生きていくためには、常に自分で調べること、
頭使って考えていくこと、そのために最低限かつ最大限の知識を持つこと、
こういう学ぶ姿勢を自分なりに作っていこうとする気持ちが
大切なんじゃないかな、と私は思う次第であります。

よく子どもに「どうして勉強しなければいけないの?」というふうに
言われるお父さんお母さん、あるいは大人がいますが、
そうしたら私はこう答えます。
「教わったことを元に、自分で考えてものを解決するため」だと。
「学校で教わったこと」は、自分で物を解決するための道具で、
実際に生きてくとなったら自分で色々しなきゃならんのよというふうに
私は教えるんじゃないかなって思ってます。

英語麻雀

17日はコスプレイベントがあるわけなんですが、
初の試みとして、新装相成った須賀川市役所の建物を
まるまる使うという事になっているんですね。
いわく、「ワールドトリガーのボーダー本部っぽい」ということ。
ってことはガチリアルメガネの私としては三雲修やれと。
ま~、確かに衣装持ってるわけですけど、
あれ、結構髪の毛とか調節しないとならんので、
どうしようかなぁ……着ただけさんになっちまいそう。
(いつもそうじゃん、というツッコミはBADI)

他にも、まちなかを歩ける、しかも一部お店に入れるということなので
(しかもよく行くスポーツ店もダイジョーブらしい)、
その手のコスもしようかなと思っておりまする。
『ハイキュー!!』とか『黒子のバスケ』とかね。

で、その後はその後で、新しく私の住んでるところに来る
外国語指導助手の人と、その前任の先生と、
その他たくさん集めてのバーベキューをやるんですけど
(この前任の先生、私の住んでる町の代表として
 県内の市町村対抗駅伝にも出場してるんですよ)、
この新任の先生、麻雀を覚えたいということで、
じゃあ私が一肌脱いで麻雀ルールを英訳しようと、
軽く安易な気持ちで引き受けちまったわけなんですが……

むずい。
何分これ書こうとするとまるまる1冊本が書けるようなもの
(麻雀のルールは本にするとそこそこの厚さになるのは周知の通りで
 書店に行けば「こんなに覚えるの?」と思うほどみっちり書かれた本がある)、
結構大変ですし、何より訳語がうまく見つからない。
ツモがself-drawing、あと面子がmeld(s)とか、
その他なかなか馴染みのない用語も飛び交いますし、
結構手間がかかります。
3割くらい和英辞典が役に立たないこともありますし。
よく日本の麻雀のルールはトランプのセブンブリッジ、
あるいはもっと幅広く「ラミー系」というゲームに似てて、と言われますが、
一部その用語かっぱらってくっかなと思うほどです。

不幸中の幸い(?)なのが、私が一度大雑把なルールを
HTML形式で書いていること(ただし日本語話者向けオンリー)。
そう、ホームページ上に載って……あ、こっちに掲載してない。
どうしよう……改めてこっちでも修正加えて公開しましょうかね?
ルール自体はそんなに難しくないんですよ。
手役を覚えるのと点数計算がしち面倒なだけで。
まあ、中国麻雀は手役で81あって、しかもこまけぇの結構あって、
そっち覚えるより楽だという見方もあるっちゃありますが、
ただ、あっちは役そのものに点が完全に同居してるので
覚えてしまえば典型さんは楽かもしれません。
日本麻雀は役ごとじゃなく、上がった形に応じて
「翻」として表される役のパワーレベルを加味して点計算します。
そのため、状況に応じて点が変わることもありますから、
そっちのが面倒じゃんという見方もできて……。

ちなみに、アメリカの麻雀のルールってのもまたあって、
そっちはそっちでまた日本とは違いますから
英語版のWikipediaを読む限りだと、役などかなり違いがある。
 日本語Wikipediaのアメリカ麻雀の項は対訳にはなっていない感があり、
 いささかわかりづらいところではある上に、役が毎年改正されるらしい。
 また、著作権の関係で役の一覧を書けないという縛りもあるとか)、
それはそれでわかりにくい部分もあります。
ただ、こちらを知ってると少しとっつきやすくなる面もなくはないかなと。
日本麻雀特有のドラ・王牌なんてのは解説必須ですけど。

わたしのじびょー

……といっても、深刻な方、すなわちガチで精神の病である
双極性障害+うつ病、アルコール依存症の話じゃなく、
もっとアホな方の疾患、すなわち……
ショタコン
の話でござます。
ついでにいうと、私の場合は双極性障害ですけど、
うつが強く出過ぎるタイプなので、うつ病+双極性障害とされてて、
普通はありえない「抗うつ剤+安定剤」という組み合わせの
レクサプロ(SSRI系の抗うつ剤)10mg+
バルプロ酸ナトリウム(安定剤)200mg=バレリンとして
処方されとりまして、後者をジェネリックにしてもらった上で薬が出てます
(後者はてんかんの薬として使われることもあるが、私のは違う)。

話を戻して、ショタコンにつきましてですけど、
罹患したのはいつだったかというと、とりあえず……
ショタコンの定義っつーモノから考えていかないと遺憾な、と。

とりあえず、まともに自分より年下の男子に対して
ヒャッハーしたのはいつかと考えると……
1996年だったかなと思ふんです。
現在でこそ将棋好きとして対局の様子を楽しんで見ている私の場合、
当時、羽生善治さんがタイトル7つ独占したってのが
話題になっていたことですげー!って思ってるわけですけれども、
どちらかと言うとその頃は将棋よりもツクールでした。
ちょうどツクール2も出たばっかりでしたしね。

そんな私、1996年の3月30日に磐越西線を利用して
たまたま新潟の祖父母の家に遊びに行ってたんです。
毎年あの時期か8月お盆近辺かどっちかに
いつも新潟に訪問してたわけですね、私は。
何のこたぁございません、私が新潟の祖父母の7人の孫のうち
地元=新潟にいない唯一の孫でしたから
(同居の孫は3人、あと3人は車で6~7分くらいのところに住んでる)。
その頃の私は当時15歳、もうすぐ高校生になるんですけど、
基本、そこまではあまりアニメとか見てませんでした。
当時読んでたのは……あれかな、『鬼神童子ZENKI』って漫画で、
ま~、これにも後鬼っていうショタがいるんですけど、
もちろん彼にも悶えてました。
……そ~考えると初っ端に悶えたショタは後鬼だったわけで。

ただ、決定的に私をどツボに落っことしたアニメがございます。
何度か話をしてますが、『飛べ!イサミ』でして……
まだ小さかったいとこたちが見てたアニメを私も見る羽目になったんですが、
……新撰組のメンバーのコスチュームを見て、
脳みそに熱いものが流れ込んできてしまひました。
その結果として帰ってくるときに『飛べ!イサミ』のコミックスを
会津若松市内の書店で集めようと画策したり
(若松では見つからなかったものの、後日地元の書店で見つけ、
 更に郡山市内の学校帰りに立ち寄りまくってる書店でゲット)
挙句この服着てぇ!とまで考え出しちまうという……。
この時期に、私の脳内OSはほぼ現在のものになった感じで。
ちなみに、その時やっぱり一緒に見た『勇者指令ダグオン』にも
相応にハマって、特にヨクのマッドサイエンティストっぷりと
純情っぷりに悶絶しまくったということも追記しときます。
いや、あのアニメそれだけじゃない。
事件が起こったところにすぐ駆けつけられた理由が
「電車に乗り遅れた」と発言するヒーローとか、
敵の宇宙人をピンクのスリッパの一閃でもって処刑したり、
勇者シリーズというには相当色物・ネタな要素があったアニメだなと。

んで、その後も性癖についてはあまり直ってんだか直ってないんだか、
ショタにハマったりすることは抑え気味になったのに対し、
変なゲーキャラにハマったりすることは少なからずありました。
例えば『スターオーシャン セカンドストーリー』のアシュトン・アンカース。
まあ、ショタじゃないです。20歳ですから。
ただ、キャラクターが色んな意味で個性的すぎて楽しいねぇというか、
斜め上を行くようなキャラクター性があまりに好きになりすぎちまい、
結局アシュトンにもなりたいと思ってしまひにけり。
んなもんだからコスプレ第一号は実はアシュトンでした。
ついでにいうと、DQ4もさり気なくプレイするのみならず、
そのDQ4の人気キャラクターであるアリーナとクリフトが
イチャイチャする……わけではないんですが、
そういう二次創作の漫画が『Gファンタジー』で連載されてるってんで
そっちも購入して……クリフトに随分悶えまくったものですなぁ。
(※『プリンセスアリーナ」という作品ですが、
 あまりいい話聞かんのですね、この作品の作者のことで)

前後しまして、ワタクシメ、当時大学受験真っ只中、
あまりゲームばっかりしちょるわけにはいかなかったんですが、
ツクールのアイデアはちまちま出して、それがのちのちの
『ZOMBIE the FESTIVAL!』になるわけなんですが、
最終的には大学に合格しまして、その後一人暮らし、
もちろんPS購入してツクールに勤しむわけですが、
その中で主人公グラフィックも作っちまおうということになり、
じゃあ、と思って近くの書店に行って見つけたのが……
見事なまでのファンタジーに出てくるショタっ子主人公。
その名もタジ・アスガラフ
もうね、私をショタコンのドツボに決定的に落っことしたのは
まーちがいなくこの子だわと。
いや、それどころじゃなくコスプレイヤーとしての萌芽を作ったのは
間違いなくこの子だ、うん、ファイナルアンサー。
しかも声(CV:今井由香さん)がまたいいんだこの子。
キャラクターは若干ポンのコツ入ってますが、
性格も悪くないどころか真剣そのものなところが多いですし。

更にショタコンに目覚めた私に追い打ちをかけまくったキャラクターとして、
かーくじつに挙げられるのが『カードキャプターさくら』の李小狼です。
最初に桜のカードを奪おうとかしてるのに……途中から「怪しく」なって、
どんどん恋心に目覚めて、しかも重度の照れ屋でかっこよくて
声もいいぞもっとやれなくまいもとこさんボイス!
多分小狼に出会ってなかったら『EDC』は生まれてなかっただろうなと。
あの世界ってすごく平和な世界で、小狼は桜に対してもっている
淡い恋心と不思議な使命感とが合わさって一生懸命になり、
そんなところがなんとなく「友情」と「愛情」という、
人間関係の根底にある感情を思わせる面があったんですよね。
そういうの見せられたらそういうストーリー作るしかないでしょうよと。
研究のためにDVDも全巻買いましたし。

さらにさらに怒涛のショタっ子ラッシュというか、
とうとうキャラクターの特に定まってないショタっ子のイラストにも悶えるようになり、
ガンガンのこのイラストにも悶え、ユータのイメージが作られていき、
更には『悠久幻想曲3』のビセット・マーシュとか、『聖剣伝説2』のランディとか、
あとは昔ちょっと気になってた『アークザラッド」のナンバリング主人公である
アーク・エルク・アレクの3人にもだんだんぞっこんになって、
更に『ぷよぷよ』のラグナス・ビシャシにもハマり……

極めつけは……やはり『ザ・キング・オブ・ファイターズ』のクリスですよね。
いや、昔からハンドルネームでクリスって付けてましたけど、
これはMORPG『ルーンジェイド』で自分が魔術師を選んでたんですが、
炎系の魔法で相手を滅殺するという戦い方を目指した結果として
クリスのがいいんじゃねか、って話になったのがきっかけだったんですけど、
どんどんその魅力に取り憑かれてったっていうか……
気がついたらクリス最高!!という同志将軍・犬射小太郎さんとともに
ヒャッハーなクリスライフ(?)を楽しんでいるわけでございます。
ちなみにその『ルーンジェイド』、魔術師にしたのはその見た目だけです。
何すかあの可愛らしい見た目ってば?!
いや、女の子も可愛いですけど、男の子(とあえて呼ぶ)がまあこれねぇ!!

ダメ押し。
『デュープリズム』のルウくんももともと見た目がちゅうもーくレベルでしたけど、
実際にゲームやってったらドスーンとハマりました。
何この愛らしい一途なキャラクター性!!
もうね、なんちうか、ミント嬢と一緒に冒険しまくってくんなまし。

そして潜在能力KOに相当するのはもちろんロイ様!
もともとこの鎧のデザインとか男前なところとか、
もう何もかもがカッケーとかすげーとか思ってたわけなんですが、
友人宅でやった『スマブラDX』でもってロイ様で初勝利したとき
私の中で、いろんなもんが、 吹 っ 切 れ た。

もうあとは狂い咲きました、ショタコンホイホイ状態と言わんばかりに。
ショタっ子のうちビビビッときたのはもう迷いなくランニングスリャー!!
サイバー系の子も『ロックマンゼクス』のヴァンや
『流星のロックマン』の星河スバルくんとか、
ロックマン好きの本能を刺激される子ばかりでヒャッハーですたい!!
そんなのが影響して最近は男の子の変身ヒーローにも
もう興奮状態が止まらないという。

ここまで来るともう治す気なんかサラサラなく、あとは悪化するのみ、
こじれてこじれて転移こそしてないものの、全身に感染してしまい……
いや、それを転移というんですね。
そんなわけでもう全身ショタコンだらけになっちまってます。
おかげでもう治療も無理
犯罪を犯さない程度にショタコン楽しみ続けて死ぬまで生き続けます。
ダンジジャーの福岡紅輔くんのコスプレも楽しみたいですし、
刀剣乱舞の後藤藤四郎とかも楽しみたいし、キリト君もやりたいし……
あとはもう、このままショタコンをこじらせて人生を終えたいものです。

こないだのリアル麻雀のお話

1週間ほど前に懇意にしている人に麻雀に誘われ、
半荘1回のあと東風戦3回をこなしました。
実は対人戦に関しては半年ぶりの麻雀でございまして、
なかなかに楽しみで楽しみでございました。

今回はコスプレも披露するという(笑)
うん、『黒子のバスケ』の黒子テツヤのコスです。
すっごく蒸し暑かったのと、イカサマしづらいコスだったので
ちょうどいいかなと思ってましたし。
(イカサマしようにも袖がないはで無理)
それに「テツヤ」つながりですし。
阿佐田哲也=勝負師伝説哲也とかぶっちゃやーよ、的な。
念には念を入れてウィッグも持ってったんですが、
さすがに髪の毛がうざい(麻雀に集中できない)ので
そこまでみっちりとしたコスプレはやりませんでしたが。
ついでに黒子つながりで白井黒子の腕章も(笑)
……やる気満々です、アッーアッー↑おねぇさま♥↓激しすぎますアッー!↑

まあ、それはそうと、1回戦はふつーの赤あり東南だったんですが
(赤は伍筒2枚・伍萬伍索1枚ずつ)、
誰かがドラ2枚開きを言い出した結果、そうなっちまい……
すげーインフレルールになりました。
割れ目でポンルールなんですけど、割れ目まで採用すっかってなったら
それやったらすげー大味になる……と結局ボツに。
もともと私は手役派の打ち手で、赤アリに慣れてないんですが、
このインフレルールのお陰でどーも調子が狂いまくったというか、
ツモられりゃたっぷり支払い、振り込んだら裏がごっつ乗って、
2回戦と3回戦ではラスを食いました(それを人は下手とも言うが)。
そのうち私が冗談で宇宙麻雀の話をしてたら、
次そういうルールで打つか?なんていうお馬鹿な流れになりまして……
さすがにそれやると頭が腐るのでやめましょうという話になりました。

麻雀……周知の通り(?)、字牌には東西南北の字が書いた牌があり、
使い方によっては点数がでっかくなっちゃったとか早あがりできるとか
いろいろな使い方があるわけなんですが(使い方間違うと役無しになる)、
東に南に北……私の脳内ではプリキュアの皆さまが乱舞しました。
東を切るときには「せっちゃん」と呼称してみたんですが、
……分かんない人のが多かったっつか……
まあ、子育て終わってたとか、男の子ばかりの子育て中の男性ばかりですからねぇ。
まあ、東が赤かったらなお(ネタ的には)笑えるんですけど、
そうなると東風戦では非常にやばいことになるわけで……。
ちなみに北はここで決めなきゃ女がすたる荒ぶる調べの方
南は気合のレシピを見せてくれるたおやかな調べの方
西は……うん、「謀ったなシャアーーーー!!」です
(「西島さんはどうした?!」というツッコミが来そうですけどね……)
(一般に西牌は日本ではシャーと呼ばれる。
 中国の普通話=日本の共通語に相当するものではシーなんですけど……)。
……そういう意味ではむしろ東より西のが赤くなってたほうがいいんでねべか、と
勝手に思ってたりもしなくはないわけなんですけど。


とりあえず、次は後藤藤四郎のコスですかね?
何かツモってトーと……。

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