少し、ゆっくりします

12月はどうしてもスッキリとした精神状態になりません……。

もともと精神的にはいろいろ上がったり下がったりが激しい……
というか、病のせいもあって気分の変動が異常に大きいことで、
ちょっと疲れ気味になっています。

無理矢理ではないものの、精神状態を持ち上げようとして
いろいろなことに手を出そうとしてみたり、あるいは調子がいいからと
安請け合いしてしまうのもよくないようでして……。

私の病は当初はうつ病でしたが、現在の診断名は
うつ病と双極性障害とのあいの子と考えられています。
こういう性格って「高揚気質」というふうに言われるんですが、
実は一番反動が来てドーンと落ち込みやすい性格なんだそうな。
つまり、双極性うつとか双極性障害になりやすい、
元気と元気がなさすぎのはげしい状態になりやすいわけで……。

上記の「高揚気質」から飛べるページは、
『たけしの本当は怖い家庭の医学』のページなんですけど、
実際の番組ではこのあと自分の性格問診もありました。
探してみたら、全く同じものが掲載されていたので紹介します。
あなたがなりやすいうつ病の種類がわかる!三大性格問診

これでやったとき、私は「メランコリー親和型」でした。
古典的なうつになりやすいタイプだったわけですが……
実際にはドッチモー、ってことになってしまったわけです。

この手の双極性障害、安請け合いの結果として何もできなくなってしまい、
パーンとなってしまったが最後、本人も大変ですけど周囲も大変……
そんなこんなでいろいろな人に迷惑をかけたこともありまして……
私の場合は特に日によっての変動、、あるいは日内変動も激しくて、
それで引っ掻き回しまくった縁というのもあります。
おそらく、私と付き合うと、浮き沈みがある性格が故に
さんざん引きずり回しやがって……ジコチューがー!って思われたのかなと。

そんな中でも友人でい続けてくれる人たちや、
私の創作を楽しみにしてくださっている皆さんにはほんとうに頭が下がります。

ただ、同時にちょっと無理しすぎたかな……
テンションのギアが高くなりすぎたかな……
そんな思いも抱いています。
実際、コスプレイベントに出席した当日・翌日にとんでもなく疲れたり、
その他各種イベントで元気出した翌日にどっと寝込んだりってことがありまして、
多分、そういう風に力加減の配分がコントロール出来ないのか、
あるいは精神面の適応力が低いのか、そういうものもあって、
普通の人よりも余暇を楽しんだあとの体力・気力の消耗とか、
あとは場合によってはその後の心のベクトルがマイナス方向を向いたり……
そんなことも一度や二度どころか、片手でも両手でも数え切れないほどです。

とりあえず、この年末年始は少し休ませてください。
何も考えずのんびり寝ます。のんびりと羽を休めます。
その上でコスプレ活動とか創作活動とか、その他もろもろを
気の向くままにやれたらいいななんて思っています。

実は創作に関しても、他の人が集中してできているのに
自分はなかなか創作に集中しきれない、あるいは人の作品と比較して
自分の作品が世に出たときに受け入れてもらえるのか、とか、
あるいは面白いと言ってもらえるか、陰口叩かれたりとかしないかとか、
余計なものも考えてしまったりして、それで不安になってしまったりもします。
結果として創作をやめてしまいたいと思ったこともあります。

そんな思いと向き合いながら創作している身としては、
自分に自信をもたせるというわけではないにしても、
ある程度気分が浮いてこないと作れないというところもあり、
創作が遅々として進まないというのもあったりします。

とりあえず、休養させてください。
今年の12月31日はチャット大会はやらないことにしました。
のんびりと寝て、少し気分を落ち着かせた状態のまま、
年明けの仕事と創作とコスプレその他に取り組めればいいかなと。
もし、うまく休養が取れなかった場合は……
その時は休養の時間をさらに伸ばします。
1月7日のコスプレイベントには顔を出す予定でいるんですが、
その際にも前もって体調を考えた上で出席するか否か決めます。
あんまり浮かなければ当日は自宅でじっくりと寝てます。

お会計は53万です(単位:インドネシアルピア)。

先日Twitterを眺めてたところ、
はま寿司の注文パネルの声がフリーザ様に」という
超がつくほど笑える記事があり、真偽の程を確かめるべく、
ちょうど通院日で、かつATMに礼拝に行く日きゅうりょうびだったものですから
せっかく出しと思って一番近くのはま寿司、須賀川店へ。

入店は11時をちょっと過ぎたかなくらいだったんですが、
すでにお客様も数人入ってました。
まだそんなにお客様も多くなかったので、
店員さんに直接案内されて、席についたら早速注文開始。

座ってタッチパネルに触った瞬間……
「いらっしゃいませ、はま寿司にようこそ。」

……フリーザ様や!!
この時点ですでに大爆笑なんですが、その後フリーザ様のテンションが
最高にハイになる瞬間が来るまではしばらくかかりまして……。
普段私は光り物系(サバ・アジ・イワシ・サンマ)から食べ始めるんですが、
今回は手近なところに流れてきた生ハム(注文品ではない)と、
あとはオーソドックスなマグロの赤身とサーモンを即ゲットできたので、
早速それでいただき、あとは注文品を待ちながら味噌汁すすって、
少しずつ食しながら待っていると……

間もなく到着します!
 お取り忘れにご注意ください!!

どーしたフリーザ様!!
とにかく壊れっぱなしというかなんというか……
中尾隆聖さんを起用したのは大いに結構なんですよね。
これって全部フリーザ様なんですかねえ?
バイキンマンに関しても導入したら子供が喜びs……
いや、食品を扱う、しかも食中毒が気になる生物を扱うところで
バイキンマンはさすがにまずすぎるわな……。

そう考えるとフリーザ様をチョイスした
中尾さんというかはま寿司というか、
その辺、目のつけどころが大変によろしいという感じで。
逆にこういうネタになるという点からTwitterで拡散されて
いい感じに宣伝になるから、はま寿司お主も悪よのう(笑)


ちなみにこれ、第1弾ですって。
じゃあ第2弾以降誰になるんだろ?
『ドラゴンボール』悪役つながりで若本規夫さんとか?
あちこちで「ぶるぁぁぁぁぁぁ!!」とか聞こえてきたら
色んな意味ですげーカオスですよ。
あるいは時々塩がネタに薄っすらとかかって
「塩くれてやる」(某しゃくれ顎のシャドルー総帥)とか、
「望みどおり……天からお塩ー!」(某ネスツ闇の支配者)とか
そんなネタも出てきそうな気もしますなあ。

個人的には他にもくまいもとこさんとか今井由香さんだったら
悶えまくるんですけど……今井由香さんは活動休止中ですし
(残念ですが、お母さんとしての役割を全力で果たしたいということで、
 ファンとしては、無理のない範囲で全力でと応援するのみです)、
くまいさんだったら小狼ですかねえ?
小狼だったら悶えまくって食ってらんなかったりして……。
あるいはみんなで食いに行って片っ端から注文させまくるとか?
あとは村瀬歩さんとか斉藤壮馬さんとかでもヒャッハーしますな。

もしも訓練場の登録担当がサンドウィッチマンの富澤さんだったら

仕事中に思わず思いついたバカネタです。
笑ってみてやってください。
一部笑点ネタが入っているのは仕様……っつかなんつーか(笑)
被害者(笑)は私のオリキャラの桜庭翔太(獣人・男・善・侍)です。

桜庭翔太(以下翔太とのみ表記)
「すみません、冒険者登録をお願いしたいんですが。」
登録担当(以下担当とのみ表記)
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
翔太「いやここ登録所ですよね!? ファミレスじゃありませんよね!?」
担当「ちょっとしたマイケルです。」
翔太「マイケルの方じゃなくて冗談でしょうが!」
担当「まあ、とりあえずおかけください。」

担当「まずお名前は?」
翔太「桜庭翔太です。」
担当「さくらばしょうた……と……これ、偽名ですね?」
翔太「な、ど、どうして分かるんですか?」
担当「たまにいるんですよ、そういう中二病全開のくだらない名前で登録する人が……」
翔太「なんですかそのくだらない名前ってのは!?」
担当「ああ、言い過ぎました。せめて大したことない名前ってのに……」
翔太「大して変わりありませんから!」
担当「で、本名は……じゃあ当ててみましょうか?」
翔太「はあ……」
担当「本名、田ノ下雄二」
翔太「そっちの昇太かい!」
担当「独身ですね?」
翔太「そうですけど。」
担当「まだ独身ですか?」
翔太「だからそうだと……」
担当「いつまで独身ですか?」
翔太「余計なお世話!」

担当「で、職業は?」
翔太「サムライです。」
担当「呪文は?」
翔太「レベル6までいけます。」
担当「呪文唱えるとき噛んだりしませんか?」
翔太「だからそっちの昇太じゃないっての!」

担当「身長はいくつですか?」
翔太「173cmです。」
担当「サバ読んじゃいけませんよ、163cmでしょう。」
翔太「読んでません!」
担当「さっきのホームページには163って書いてありましたが。」
翔太「だからそっちの昇太じゃないってさっきから!!」
担当「チンケな男ねー!」
翔太「いい加減にしろ!」

その後、この担当者がどうなったかは定かじゃありません。

  • 翔太に村正で首飛ばされた
  • レリーさんに破壊の戦斧でもってバラバラにされた
    (ギガスブリーカーでプレスされたでも可)
  • エバイストにBADIもらって心筋梗塞起こした
  • ティナのTILTOWAITで骨も残らないほど焼かれた
  • アルマダのALIKUSでミンチにされた

さてどーれだ(笑)

山吹色の茶菓子(ただしお代官様にじゃなく白衣の方に)

昨日の勤務中に品出しをしてた時の話ですけど、
水道管を保護するためのテープを出してたとき、
箱の下に敷いてあった白いダンボールをめくると
その下からまさかの刷毛が登場したときに、
「この展開、木久ちゃんが大喜びしそうだなおい」とか思ってしまい、
一人ププッと吹いてしまったということがありました。

まさに「菓子折りの下に小判とは、越後屋お主も悪よのう!」
こんなのを彷彿とさせるような既視感を覚えた私ですが、
その夜に『DoctorX 外科医 大門未知子』で、
医師に袖の下を渡す患者を見てて思わず「コレの伏線かー!」とか
思ってしまったわけでございまして……。

さて、袖の下って今でも一般的なんだろか、とか思ってしまいまして……。
いやね、昔は結構当たり前だったんじゃないかなと。
特に外科系の難しい病で持って入院だ手術だってなったとき、
手術をする医師に渡して便宜を、なんて話が出ますからねえ。
まあ、心付けでございますよろしくお願いしますです、みたいな……。

ただ、実際のところ「お金もらったところで医療行為は変わりません」
こういうのが本音なんでございます。
だって、医師にしてみれば目の前の患者さんを救うのが先決、
それができないと自分の評価にも関わりますからね。
よほど特別な治療法をチョイスせざるをえないとかそういう場合でも
基本的に保険ですから、点数が決まっているわけです。
ついでにいうと、最近の病院ではDPCと呼ばれる、
「この病気に関してはこんだけの点数の治療ね」ってのが決まってます。
したがって、どんな治療しても対して変わらないんです、病院の収入額は。

手術に関しては出来高払いの側面がありますけれども、
それだってなるべくなら負担の掛からない手術をするのが望ましい、
(この場合の「負担」は懐具合の話と「切る」ときの手間と時間、
 すなわち患者の体力が持つかどうかという話も全部ひっくるめて)
したがってあまり面倒な手術をする訳にはいかないんですね。
もちろん必要になったらそういうふうにしますけれども、
そういうふうにすれば治りも悪くなりますから余計大変です。
ちなみに、そういう風になるのは医師の技量も要素として少しありますが、
加えて患者の容態に関する「予期せぬアクシデント」という側面もあり、
一概に医師の責任だってだけじゃないんですよね。

じゃあなんでみんな袖の下を……と思ったわけなんですけど、
医師であると同時に医療ジャーナリストの富家孝氏が指摘するところでは、
患者やその家族が医師に対して不信感を抱いているから」ということで、
もちろんこれは当然のことかもしれません。
自分の家族が大病した、助かるかどうかわからない。
そうなったときに相手の石がちゃんとした医師かどうかは、
言い方は悪いですがある意味では運でもあります。
ですが、そんな医師でも袖の下渡しときゃ頑張ってくれべえ……と。

「そうかなあ」というふうに思った方と、「そうだよなあ」と思った方、
両方いらっしゃると思いますし、また両方の考え方があります。
不信感もあるでしょう。または不安感から藁にもすがろうとする、
それこそ「地獄の沙汰も金次第」なんでございますな。

しかしながら、それはある意味では医師に対して失礼でもありまして、
「そこまでしないと本気でやってくんない」と思われてるっていう意味だととると、
「あたしゃそんな手抜きする医師じゃねえよ!」と怒る医師もいましょう。

はい、結論から申し上げますと、袖の下は別にいらないというのが実際で、
特に国公立の病院では100%受け取ってくれません、というか、
それは国公立の病院だと「賄賂」扱いになりますので、
一つ間違えば刑事事件で持って病院全体はおろか、
患者やその家族までも事件の被疑者だのになってしまいかねません。
まあ、それはオーバーな言い方かもしれませんが、
そういう形で取られますので、国公立ではご法度になってます。
私立、つまりわりかしそこら辺にある病院(財団法人系)だと
受け取るところもなくはないでしょうが、それでもあまり芳しいものでもなく、
医師自身の評判を落とすことにも関連しますから、
やはり意思を信頼してすべてお願いしたいというふうに思うのでしたら、
「よろしくお願いします」「ありがとうございます」の言葉で気持ちを示すこと、
このことこそが一番大事なんじゃないかなあと思いますね。

医師に不信感を抱くよりも、素人ではできない医療行為を行ってもらうこと、
そのことに感謝して、仮にどうなってもそれはそれで仕方がないと割り切る
(どうしようもない医療ミスはともかくとして)
そういう風に医師と良好な関係を築こうとする心構えこそが
医療行為を受ける上で一番大事なんですよね。
信頼して任せて、必要に応じて情報をきちんと聞いたりして、
医師と仲良くなることができれば、医療もうまくいくものです。
精神的に安定することも医療において大事ですからね。

結論。
菓子折りの下に小判とは、お主の病気が悪くなるのう、となりかねない。

憲法で真に大事な条文

ジャンルに「経済・政治・国際」と入れましたけど、
憲法の話=政治、とは限らないというご指摘をいただくでしょう。
ただ、元にしているのが政治=衆院選の話だったので、
そのへんはご容赦ください。

今日、我が家に選挙公報が来ました……といっても、
区民に回覧板に封入した上で配布するためのものがどっさりなので、
厳密には「来た」とは言わず「届けてください」扱いではありますが。

で、そこには今回の福島3区の小選挙区の候補者の政見も。
今回は前職の玄葉光一郎氏(旧・民進)が無所属で出馬し、
そこへ上杉謙太郎氏(自民・公明推薦)と橋本健二氏(共産)が立候補、
三者三様の……三つ巴と言っていいのかちょっと疑問ではありますが、
そういう陣容になっています。

で、共産の橋本健二氏のところを読んでみると……
共産系候補や社民系の候補の名物と言ってもいいかもしれない、
憲法9条を守る、というキーワードが書いてありました。
……うーん、と私は唸ってしまいました。

いや、もちろん憲法9条を守る、つまり諸外国に戦争しかけない、
戦争でもの解決するんじゃなく外交でなんとかしようってのは
当然のことではあるんですよ。
ただ、そのための外交ビジョンとかそういうのがないとなあ……。
残念なことに、憲法9条を守るなんていう「ありきたりの言葉」ばかりでは
身近なところをなんとかしてほしいと思う有権者はこっち向いてくれません。
言ってみれば9条はある意味では「もっとも身近なところにない条文」でもあり
(むしろ「身近になってはならない」といえるほどであると解釈もできる)
(まあ、第1章の「天皇」、つまり第1条~第8条の項目もまたしかりですけど)、
そのことよりも憲政云々だったらもっと「大事な」部分じゃないの?と思うものが
いくつもあるんじゃないのかなぁ、と思うんです。

国のあり方を真面目に考えた場合、一つの考え方として、
「国とは、単純に『同じところ』に住んでいる人たちが、
 様々な目的をもった上で自分たちの生活を維持できるように
 とりあえず作った『共同の器』」だというふうに捉える手法があります。
そのためには、国としての体をなす前にまず人それぞれ、
個人をきちんと保証しなければならない、と考えます。

この考え方が私の基本的な「国」概念……というよりも、
社会とはなんぞ、ということを社会学において考えた場合に、
「人が二人以上集まったら何が起こるのか」を考えることだと思うわけです。
なので、社会だとか国だとかいった「人の集まったもの」とは、
結局個人をきちんと立てなきゃダメだろう、というふうに考える傾向にあります。

そうすると、まず個人を定義する条文からだよね、となります。
はい、この条文ですね。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

※上記は法庫・日本国憲法の頁・http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTMより抜粋

そして、忘れてはいけないと思うのがこれ。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

※以上も法庫・日本国憲法の頁・http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTMより抜粋

9条の根拠法は実は25条じゃないかとも思います、私は。
むしろ、私は今こそ9条が~をやめて、25条を~と
声を大にしていうべきだと思うんです、共産党とか社民党は。
現に、いま子どもたちの相対的貧困の話が出ていますよね。
そして、能力があって意欲もあるのに学問を志すことができない、
その結果として才能を活かすことができずにいる子どもたちも多い、
あるいは自分で自活するのが困難な人たちの生活を底上げし、
その結果としてみんなが豊かに暮らせるようになる……
経済が沈んでいるってことを考えると、そういうことをしていくことで
自然に社会全体が活性化し、また長い目で見れば国力もアップし、
個人にその利益が還元される、ということになりませんかね?

だからこそ、個人をきちんと大切にした社会が求められるわけです。
戦争をしちゃいけない、なんてのは当然なんですけれども、
それ以前にまず個人を個人としてきちんと支えましょう、
国民の一人だとかいう前に、人として当たり前のように生きてもらえるように
きちんと保証しなければ、国は支えられないんですよ、ってことを
もっともっと積極的にアピールしてかないと、日本は沈没しますがな、と
どんどんいってけばいいんですよ。

前も何かのきっかけがあって25条こそ憲法の肝だ、なんて話をしましたが、
やはり人を人として生かしてくれる、そして活かしてくれる社会こそが
然るべき社会じゃないかな、って思われて仕方がなくて、
また同じことを書いた次第です(選挙期間中だからというのもありますが)。
それをやりましょう、という政治を目指していきたいところですよね。

将棋のタイトル保持者一覧

Titleholder
(上記画像は日本将棋連盟・現役棋士一覧頁
 2017年10月12日時点でのスクリーンショット)
昨日の将棋・王座戦五番勝負第4局の結果、中村太地六段が
羽生善治王座を80手で破り、3勝1敗にて王座位を奪取、
加えて六段以下でタイトル獲得につき七段昇段を果たしたわけですが、
翌日の将棋棋士紹介のページがこういうことに。
まあ、当然ながらタイトル保持者がバラバラなのでこうなるんですが、
羽生善治棋聖が「ここにいる」というのがどうも違和感が……。

リアルタイムで「羽生善治・七冠独占」を見ている世代として、
更にNHK杯4連覇とかタイトル通算98期とか、
そういうのを知っている世代として、やはり不思議な感覚というか、
なんとなく寂しいものを感じる面もまたあります。

もちろん、これで羽生棋聖がもう終わりだっていう意見をいうような人には
丸くれらんねどころか特大サイズのバツをくれてやりますけど、
もちろん体力的なものというか、年齢的なもの=衰え、みたいなのは
まったくないとはいえないと思いますし、またその他の要因もあるでしょう。

一番は若手の指す将棋に対して旧来の自身が蓄えた定跡や閃きが
効かない、あるいは覆されるようになってきたということなのかなと。
昨今の若い世代(中村太地王座や菅井竜也王位など20代以下の棋士を指し、
特に有名なところでは前期棋王戦挑戦者であった千田翔太六段)は
研究にコンピューター将棋を積極的に取り入れるというものがありますが、
これによる最大の効用は、これまで人間の間での定跡では
「あまりいい手ではない」と判断されてきたものを否定して、
積極的に「この手はなかなか面白い手だ」と発掘できている点です。
ここのところ若手棋士の間で「雁木」という戦法が流行っているそうですが
(こないだの新人王戦・増田康弘四段対佐々木大地四段戦でもこれだった)、
これもまたコンピューターの間で再度評価されるようになった戦法だそうです。

もちろん、羽生棋聖もコンピューターは使っていますし、
羽生棋聖をはじめ、佐藤康光九段や森内俊之九段を輩出した伝説の研究会
「島研」(主宰は島朗九段)に於いては、棋士にとって最大の勉強となる
棋譜をデータベース化したものをコンピューターに処理させていたというわけで、
そういう形で効率化して棋譜を扱い、そして強くなっていったわけです
(その流れを汲んでというべきか、ある意味最も確実にそのノウハウを活かし、
 純粋に気力を向上させたといえるのが渡辺明竜王。
 もっとも、これは渡辺竜王が羽生棋聖に対して
 ものすごい私淑を持っていたからというのもあると思いますけどね。
 んなもんだから『将棋の渡辺くん』でも頻繁に羽生さんの話題が出てきます)。

とはいうものの、それはコンピューターを「使っていた」というわけですから、
実際に自分の勉強相手というわけではなく、単なる「便利な知識の箱」として
重用していたという感じの使い方だったともいえます。
若手はそれに対して積極的にコンピューターの将棋ソフトを用いて、
自分の将棋を磨いているわけですから、その独創的な発想も手伝って、
今までの棋士の常識にとらわれない気風になる傾向があるかなと。

結局のところ、こういう「閃き」の世界ってなんだろなと思うと、
常に自分が何を考えられるかとか、そういうことなんです。
で、自分の発想の引き出しを増やすにゃどうするかっていったら、
とにかく新しいものに触れて、それから刺激を常に受けまくって、
そして最後に「何が使えて何が役に立たないのか」、
その取捨選択をきちんとできるようにする

そのために、自分を常に振り返り、かつ他者からも学ぼうとする、
そういう、知に対して貪欲なことこそが、ナニゴトもうまくいくのかなと。

知を求めるというのは何事においても大切なもの。
自分の知に見落としや勘違いがあったらきちんと認め、
それを省みて覚え直すことが求められるというわけで。

でも、これも民主主義=政治にも通じるよなあ、と。
今ちょうど衆院選の真っ只中だから思ったんですけど、
民主主義は多数決で全て何もかも決めるんじゃないんですよ。
民がみんな主役ですってのを据えてるから民主主義です。
そのためには民を弾いちゃだめなんだよなぁ……って思います。
ベンサムの提示した「最大多数の最大幸福」って概念がありますけど、
これにおいても、ベンサムが考えている部分においては、
多数者の利益のために少数者を犠牲にすることを支持しないわけで、
全員が幸せになるにはどうしたら良いの、ってことを考えることになります。
……よく、「所得の再配分」に関しても、なんで努力して稼いだのに
俺だけたっぷりもってかれなきゃならんのだというふうになりますね。
これもちょっと考えてみると、こういう説明もできそうです。
「まあ確かにあなたからガッポリ持ってきますが、
 あなたは他の人が稼げる以上に稼いで、十分幸せですよね。
 それで十分以上幸せなんですから、その分をほかの人に回して
 みんなが幸せになったらもっと幸せですよね。」
ってことになる……これは場合によっては感謝される要素でもあり
(例えばチャリティーや奨学金への寄付などがそういうものに相当する)、
社会的な富の再配分は決して一部個人の犠牲とばかりは
言えないのではないかと私は考えるわけです。

……ごめん、2打目がスライスしまくって話がOBに入ってた。
打ち直し。第4打。

民主主義と知を求めることの共通点はなにかといったら、
「意見を事にする他者と互いに考えを聞いて、
 そこから互いに考えて、取捨選択をし直して、
 その上でより多くの人がよりよい生活をすることができるために
 どうすればいいのかを考え直せる。
 自分になかった知・自分の視点から飛んでたものを知ることで
 より広い範囲に目を向けられるようになり、政治システムも良くなる」
こういうことがあるわけですから、議論をするってことは大切だし、
そのためにいろいろなものを見聞きするコツ・そして考えるコツを掴み、
人ときちんと結論を出そうとする議論をできるようにすることって、
実はすご~く大事なんですよね。

ネット空間の言論はそれがすっぽ抜けてる傾向にありまして、
結論は自分の中で出てて、それに歯向かうやつはとんでもねえやつだ、
そんな議論になってない罵倒合戦になってしまってますね……。
もちろんそういう人たちばかりではないんですけれども、
どうもなあ……ちょっと違うだろそれ、ただ単に罵ってるだけじゃん
(一般には「ネトウヨ」と称されるような層が多いと思うが、
 決してそればかりではなく、いわゆるきちんとした議論をする層にも
 「バカは相手にせん」みたいな風潮が感じられる面もある)、
人の話をきちんと聞けば楽になる面もありますぜ、って思う面も
少なからずどころかたっぷりあります。
わざわざ喧嘩売りつけるようなことを言ってないで、人の話聞いて、
きちんと考え合う、頭を使って何とかしよう何とかしようと思う気持ちを
持ち続けることが大切じゃないかなぁ……って思うんです。

……ごめん、結局打ち直しの4打目がバンカーに入ったっぽい。
何言いたいんだかちっとわからなくなった……。

インターネットと"Unseen Entity"

私がインターネットを始めたのは2000年の2月だったんですが、
その頃はというと、インターネットをやる人ってあまり多くなくて、
大学生とか社会人とか、あるいは家でパソコンをやっている人の子どもとか、
割と限られている感じだったんですよね。
その頃からすでにハンドルネームという「文化」はありましたけれども、
ホームページを持つ人ってのはそんな多くなかったんですよ。

2000年代前半はまだ日記とかのCGIはあったものの、
ブログも特に用意されているわけではなく、
情報を伝えるためにはホームページを利用するというのが
実質唯一の方法だったわけですけれども、
当然ホームページを作るとなると、それ相応の技術というか
HTMLに関する知識は最低限必要(HTML4.01 TransitionalならだいたいOK)で、
加えてCSSができれば言うことなし、そんな感じだったわけです。
TwitterだののSNSなんて全く見かけませんでした。
インターネットそのものが結構ハードルが高かったというか、
そこで情報を流すということに関してのハードルが高かったんですよね。
何かを明確に伝えるってことになると、そういう準備が必要になって、
更には更新し続けるためにいろいろと手間がかかるなどあるわけですし。

現在ではどうでしょう。
インターネットをやる人がもう非常に多くなりました。
そして、SNSで誰でも情報を「流す」ことができますし、
ブログについても一般的になってきています。
インターネットメディアとしてはパソコンよりもスマホがメインで、
ちょいなちょいなと片手で情報を「流す」というのが
誰でもできるほどになっています。
そう、「超気軽なインターネット時代」ということになっています。

さて、その一方で、人に関しての進化です。
ホームページの運営の仕方についてはいろいろあると思います。
大々的に公開していろいろな人を集めるという方法と、
あるいは身内でひっそり静かに運営して色々、みたいな方法と。
まあ、本質的にはインターネットと言うからには前者になるんですが、
そのためには「自分が何をやっている人化」「何を伝えるのか」ということを
ある程度は明確にする必要がある事になります。
その公開レベルは人によって様々でしょう。
私みたいにかなり素性をあけっぴろげにしている人もいますし、
逆にハンドルと性別と年齢層だけ公開して他は非公開みたいな人、
趣味嗜好だけはいろいろ出しているけどその他は秘密の人とか、
個人の考え方や運営のスタイルに応じて様々だと思います。

さて、では現在のSNSのうち、日本でかなりメジャーになっていると思う
Twitterの話をしてみると……どうなんだべかと思う面があります。
割としっかりつながるタイプであるFacebookやInstagramとは
また違った感じのSNSであり、誰でも気軽に情報を「流せる」メディアの
Twitterに関して、私もいろいろ思うところはあります。

(※私がTwitterを始めたのが2016年の5月末だったことは
  念のため付け加えておきますです、はい)

結構、Twitterの「自己紹介」を読んだところでも
何をしている人かとか、性別とか、そういうのが全く伝わらない、
そういう「正体不明の情報伝達者」って多いなぁって感じます。
もちろん、それは主流派じゃないと思うんですけれども、
自己紹介に何も書いていないとかっていう人もたまにいますし、
伝わらないような書き方をしている人も見かけます。
Twitterの自己紹介欄については私が思うに極めて少ないわけで……
こう、「敷居を下げる」ためにわざとそうしているのかもしれませんが、
書ける分量がかなり少なくて、欄に収めきれない感じの人とか、
あるいはわざとぼやかしても大丈夫だ問題ない、な人もいたり。
(ちなみに私は「欄が少なくて困る」と感じた人です)

そういう風に思うと、この人は果たして信頼に値する人なのか、とか、
情報源として適切な人なんだろうか、とか、そういう疑問に対して
明確な回答が得られないままになってしまう恐れもあります。

情報ってのは「人の行動を励起させるためのエネルギーである」と
私は思っているわけなんですけれども、そのためにはやはり
質のいいものを選びたいところではあるなと感じます。
情報を得ることで、人は何かしようと思ったり、
あるいは自分の行動をさらに活発にさせたり、
逆に自身を戒めたり(戒めて自分を改めることで、
最終的には自分を成長させるので、それはそれで間違いではない)、
そういう効能が期待できるわけなんですけれども……

残念なことに、そういう信頼できない人間のいい加減な情報により、
一部の人達が間違った情報をもとに行動してしまったなんていう事例も
決して少なくないのではないか、私はそういう風に思うようなことが
インターネットでは平気で起こっています。
間違った捉え方をした人が、正しい捉え方で他者を叱っているのを見て
その叱っている人を口にだすのもはばかられるような言葉で罵る、
ひどいのになると実際の社会において行動に移して、
人様に迷惑をかけたり、危害を加えたりもしてます。

よく、悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)といいますが、
たまたま調べたWikipediaのリンク先に「レモン市場」という言葉がありまして
(※レモン:英口語で「欠陥品・不良品」「つまらないもの」という意味がある)
今のインターネットの情報ってのは、考えようによっては
こういうレモン市場に陥っているんじゃないかと思う面もあります。
正体不明の「無価値な情報(ここでは無価値=デマ)と考える」に踊らされて、
結果として自分を謝らせてしまい、最終的に被害が自分にかえってくる……
そんなふうになっちまったら……大変ですよね。

なので、正体不明の情報や、発信者不明の情報を見つけたら
基本的には眉につばをして、疑ってかかったほうがいいかなと思いますし、
Twitterの情報をみたときは、その発信者のことがわからないとか、
あるいは又聞きの又聞きになっている情報だったりとか、
そういうものもあるってことを覚悟した上で情報を読み解いていく、
そういう風に一つ一つ頭使いながらインターネットをやらないと、
自分に情報を流した責任が……なんてことにもなりかねません。

すなわち、インターネットは恐ろしいところだというふうにもいえますよね。
現代の情報氾濫社会で生きていくためには、常に自分で調べること、
頭使って考えていくこと、そのために最低限かつ最大限の知識を持つこと、
こういう学ぶ姿勢を自分なりに作っていこうとする気持ちが
大切なんじゃないかな、と私は思う次第であります。

よく子どもに「どうして勉強しなければいけないの?」というふうに
言われるお父さんお母さん、あるいは大人がいますが、
そうしたら私はこう答えます。
「教わったことを元に、自分で考えてものを解決するため」だと。
「学校で教わったこと」は、自分で物を解決するための道具で、
実際に生きてくとなったら自分で色々しなきゃならんのよというふうに
私は教えるんじゃないかなって思ってます。

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